ウォシュレット

「やあ、こんにちわ。今年は19XX年ですか?」
不思議な格好をした男は、突然その場に現れた光り輝く乗り物から降りてきて、そう言った。
丁度その頃、同僚との間ではSF小説や映画が流行しており、私は直感した。周りの何人かと顔を見合わせたが、同僚たちも同様らしい。
「もしかして、未来から来たんですか?」
勇気を出して聞いてみたところ、彼はニヤリと頷いた。場は俄かに盛り上がり、質問攻めが始まった。
やれこの林檎印の板は何だと誰かが聞けば、これは超小型の電話機で地図や時計も一緒になっていると未来人が答え、場は更に盛り上がった。やれこの格好は何だと別の誰かが聞けば、これは未来の服で夏は涼しく冬は暖かく車に轢かれても海で溺れても安全だと答え、皆がそれを欲しがった。
台風の様な騒ぎが収まった頃、私は、何故この時代にやって来たのかと聞いてみた。
「未来の技術をこの時代に伝えに来たのです」
そう言って彼が乗り物から取り出したのは、機械が取り付けられた便器だった。
「これはウォシュレットと言って、こうこうこうなのです」
「素晴らしい!」「すごい!」「欲しい!」
同僚のテツヤなんかは最近痔に悩んでいると愚痴ってばかりだったが、このウォシュレットがあれば大助かりだろう。というか実際、目の前でものすごく食い付いている。我々が大喜びをしている様子を見て、未来人も満足そうだ。
とにかくテツヤの盛り上がり様は凄まじく、今夜は未来人の歓迎会をやろうと大騒ぎをしている。周りも賛成の様だし、もちろん私も同様だ。このまま満場一致かと思ったが、当の未来人本人はあまり嬉しそうな顔をしていない。林檎板の時計をチラと見た。
「申し訳ありませんが、私はそろそろ未来に帰らなければいけません。皆さんに会えて本当に良かったです。どうかウォシュレットを役立ててください」
「えっ」
「えっ」
「いやいや、えっ、帰るの?」
「えっ、そりゃ帰りますよ」
「いやうん、そりゃ帰るだろうけど」
「えっ、何ですか」
「いやうん、うん、その後ろの、タイムマシンですよね」
「はい」
「その林檎の板、電話ですよね」
「はい」
「ですよね」
「ですよ、どうしましたか」
「いや、ウォシュレットも確かに凄いんですけど、んー、その、タイムマシンとか電話とか、それも未来の機械なんですよね?」
「はいもちろん」
「そっちは教えてくれないんですか」
「あー、あーあー」
「はい」
「あー、うーん、うーん」
「ダメですか」
「いや、ダメっていうか、うーん、多分良いんですけど」
「じゃあ教えてくださいよ」
「いや、僕は実は、未来でトイレを作っている技術者なんですよ」
「はあ」
「なので、まあトイレの事ならだいたい分かるので伝えられるんですけど、タイムマシンとか電話とかはちょっとー」
「何ですか」
「いや、ちょっとっていうか、まあぶっちゃけ全然分からないんですよね」
「えーっ」
「はい」
「そうですか」
「すみません」
「未来人なのに」
「いやまあ、確かに未来人ですけど。タイムマシンは会社の備品だし、電話も店で買っただけなので」
「あー、うん」
「はい」
「んー」
「なんかすみません」
「いやー」
「すみません」
「いや、いやいや、こちらこそすみません、無理言っちゃって」
「はい」
「すみません」
「あー、まあ、じゃあ」
「はい」
「ちょっとマジで時間無いんで、帰ります」
「あっ」
「来たばっかりでアレなんですが」
「いえいえ、引き留めちゃいまして」
「すみません、それでは」
「はい」
「お元気で、また機会があれば」
「そちらこそ、お元気で」
ヒュンともギャーンともポンとも「空手チョップ!」とも聞こえるような音を立てて、未来人を乗せたタイムマシンは消えた。少し前の盛り上がりが嘘のように、部屋はジワッとした雰囲気に包まれていた。何となく皆は顔を見合わせて、一人、二人、誰が何を言うでもなくポツポツと解散していった。
そんな帰路、私は考えた。確かに私も、今の時代にある、例えば自動車なんかの仕組みを理解しているかと言われれば、答えは全くの否である。欠片ほども分からない。人の事を言う資格など無いのだ。我々のためにやって来てくれた未来人に対して無礼だった。次に会う事があれば、謝りたい。
そうは思っても、向こうがまた来てくれない限りは、会う事は叶わない。というか結果を言うと、未来人と再び会う機会はもう無かった。死に瀕した私にとっての最大最後の心残りとなる出来事であった。


ところでこの気持ちは、翌朝便器に向かった際に再び思い起こされた。何を隠そう、私も痔気味なのだ。未来人が持ってきたウォシュレットを持って帰ってくれば良かった・・・。


またその数年後、TOTOという会社がウォシュレットを発売した。何事かと思って情報を集めると、役員の中にテツヤの名前があった。
おいお前それパクりや。